【昔々、アナトリアで】隠れた名作があった!大人の映画★必見 2011年トルコ・ボスニア・ヘルツェゴビナ合作映画Bir Zamanlar Anadolu’da

Drama.ドラマ

第64回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞・トルコの巨匠であり世界が注目するヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督 作品 上映時間151分

レオス・カラックス監督作品を彷彿させるような闇の映像美に酔いしれる。
暗闇を照らす車のライトはまるで人間の心の闇を暴いているよう。
真実はどこにあるのか問いたくなる心理サスペンス。
日本では劇場未公開だったのが非常に残念に思われる計算され尽くした素晴らしい作品である。
あらすじ》
冒頭、3人が酒を酌み交わしている。
それはその後起こる殺人事件の被害者ヤシャル(エロール・エールラスラン)と容疑者ケナン(フィラット・タニシュ)とその弟で第二被疑者ラマザン(バーハン・ユルディズ)。
場面は闇に変わりアナトリアの草原を照らすライト光が移動する。
ヤシャルの遺体を探すために遺棄した場所へ向かう3台の車であった。
車内には容疑者、警察官、検事、検視医、司令官、部下の警官や発掘作業員、第二被疑者、運転手たちが乗っている。13人いるようだ。
男たちは空間のない窮屈な車中で雑談をし、降りては遺体を探す。
だが容疑者ケナンの曖昧な記憶のせいでなかなか発見できない。
あたりは闇に包まれ一行は疲れと空腹で遅い夕食に立ち寄った村の村長の家で一夜を明かした。
翌朝ついに遺体を掘り出し一行は町へ戻り医者は司法解剖を行った。
このシンプルな展開の中に、奥深いメッセージが凝縮されている。
舞台になった地域Keskin(中央アナトリア地方クッカレ県ケスリン)

《貧困》
一行を乗せた車はエンストを起こすほど古い。
雑談の中でこの土地の貧しさや家庭の問題、険しい世の中に触れている。
刑事訴訟の改正があり、現場が大混乱しそんな政府だからトルコはEUに加盟できないと愚痴る。
夕食に立ち寄ったジェジェリ村では村長が過疎化や霊安室が古くモルグを建てたいが費用が無いと伝えたあとで強風のため停電に見舞われる。
病院で遺体解剖する解剖医(助手)は、手術器具が古すぎると訴える。
予告動画↑
真実はどこにある?鑑賞者が推理探偵家になるような展開・ネタバレ含みます
容疑者ケナンは村での夕食後、殺されたヤシャルの息子は自分の息子だと語った。
警部は出所するまで息子の様子を見守ってほしいと頼まれたと話す。
警部にも精神疾患があって薬の服用を必要とする息子がいる。
警部の心の変化を表わすように当初ケナンが検視医(ムハンメト・ウズネル)にタバコを貰って吸おうとした時に激しく止めたがこの供述の後禁煙中の自分の分とケナンの分を2本貰い与えている。
翌朝40~50キロ先 サルチュルルとクズルチュルルの境あたりでついにヤシャルの死体が発見された。
遺体発見のすぐ後で弟のマラザンが「俺がヤシャルを殺したんだ」と小さく叫んだが横にいた軍の兵士は聞き逃す。
ケナンは「黙ってろこのバカ」と睨みつけるが気づいた者はいない。
どうもケナンは冤罪のようだ、、もしかすると一番深い愛情を持っている人間かもしれない。
終盤では死んだはずのヤシャルを見た男の話も出てくるがヤシャルが自分の死を偽装したような逃亡的展開もありうるのか?
捜査の合間、検事(イルマズ・アルドアン)は検視医と雑談中、占い師に頼りたくなる難解な事件があると切り出す。
友人の妻が妊娠中、5ヶ月後のこの日に死ぬと言い、子供を産んだ数日後のその日言葉通りに死んだ話だ。
この話は続きを知りたくなる視聴者の心理を掻き立てるようにじらされ、前、中、終盤と3回に分かれて状況が明らかになってくる。
その若く聡明で美しい女は、実は検事自身の妻であったこと、一度だけ浮気があったこと。
また検視医からは過剰摂取すると心臓麻痺を起こす「ジゴキシン」という薬があることや「ほとんどの自殺が人を罰するためである」ことが語られる。
側から見ると妬まれるほどの成功者であっても、女(妻)の残酷さを身に染みて感じた検事はさらに自身も頻尿や顔にあざのようなものがみられ健康に問題が有りそうだ。
検視医は、患者や他人に対して穏やかで優しそうだが、子供を欲しがらない自分の内面や離婚歴がある。
今も飾られている別れた妻の写真は、未練や後悔や愛を物語っているようである。
遺体解剖前に行きつけのカフェで数日前にヤシャルを昨日見かけた男がいる話を聞いた。
その後の解剖の結果、生き埋めの可能性が強くなった。
真実を告げることに検視医の心が揺れる。
窓の外にヤシャルの妻と子供が帰って行く後ろ姿を見て、検視医はある決断を下す。
子供の実の父親に夫を殺された状況にヤシャルの妻は何を思っているのだろうか。
正しい判決は下されるのか。
感想
前作の2008年『スリー・モンキーズ』 (Üç Maymun)は孔子の論語が由来とされる(日光東照宮にもある「見ざる、聞かざる、言わざる」の)3猿のように必要最低限の会話しかないような映画でした。
本作品はその真逆と思うほどおしゃべりや論ずる会話が多い映画でしたが、風景描写の静寂な場面とのバランスも取れています。
次作にあたる 2014年『雪の轍』(Kış Uykusu、英 Winter Sleep)は3時間少々の長編の中で永遠に続きそうな論じ合いがありますがそれに比べると、無駄話も有効な会話に思えます。
車での長い移動時間や、捜査に降りた場所での何気ない雑談の中にメッセージが隠されているので、なるほどと思うことばかり。
日頃自分が人の名前がなかなか覚えられなかったり、顔の特徴が掴みづらいこともあって、前半固有名詞をほとんど使わず、画面に顔を映さず自然の景色を映しながら(川に流れるリンゴをPanで映しながら)会話するシーンなどで話し手の区別がつきにくかったのですが、中盤から見慣れてくるとどんどんと引き込まれていきます。
車の照明が作り出す光と闇、風に揺れる木々や音、水の流れ、寒さを表す湯気、停電で灯されたローソクの炎が映し出した息をのむほどに美しい娘とその作用でケナンが見た幻覚、車の窓を叩く雨音、軋んだワイパー、細やかな自然の風景描写と音が人間の心の闇と同化するようで実に見事です。
明るく万人ウケする映画では有りませんが感慨深い大人の映画です。
文学的でもある展開は監督がロシアの小説家チェーホフ影響を受けているようで「何かが起こっても、何も起こらない」ような内面を展開させている本作品はヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督 近年3作品の中では一番お勧めです。
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